« A good-natured man..Pool Imanasu-Tei See's candies Chinatown soul de cuba cafe | Main | To give something extra »

02/03/2013

RAKUGO

江戸の景色が好きである。

子供の頃から歴史が好きで、それは世界史よりも日本史だった。
歴史好きの始まりは小学校低学年の頃、当時小学校の図書室にあった『まんが日本の歴史』のような漫画で日本史を解説している本を夢中で読んでからである。
それまで、学校の図書室などには近付きももしない子供だったが、ある時一冊の本を手にしてから様子が変わった。
縄文の頃から現代までの一連の本を一気に読み漁り、その中から今度は好きな時代のところを何度も読み返したりしていた。
好きな時代は、その時々で変わり、奈良の頃の力強い文化が好きだった時のあれば、平安時代のゆったりとして煌びやかな様子がとても好きな時もあった。
鎌倉や戦国の猛者たちが群雄割拠していた頃には胸踊り、源氏から足利将軍そして武田信玄、上杉謙信などに思いをめぐらせ、なかなか江戸までは来るには時間がかかった。
どちらかと言えばその頃、つまり子供の頃には江戸時代の良さが分らず、当然それほど興味も無ければ、好きでもなかった。

長じてから、いろいろな時代小説などやドラマ、映画を見るようになり、また落語や歌舞伎、はたまた食や江戸文化に触れる度に江戸の風景が大好きになり現在にいたっている。

ただお江戸300年の歴史の中で大権現家康公の頃や今話題である八重の桜の幕末の頃は騒がしくてどちらかと言うと嫌いではないが避けたい時代である。
私が好きな「江戸」とは、穏やかな時代の頃で丁度現代の食文化が完成された頃、またいろいろな江戸風俗文化が花開いた享保あたりから幕末にかけての頃が一番である。

元禄の頃は江戸300年の中で最も華やか成りし頃だが、こと食に関してはまだまだ発展途上の時代。
例をあげれば、鰻の蒲焼は未だ無く、丸のまま串刺しにして味噌などを塗ったものを焼くというどちらかといえば下賤な食べ物であり鮨も当然ない、そして江戸文化で一番大切な蕎麦も現代のそば切りではなく太いものだったそうだ。
そんな時代でも時代は元禄、楽しいことは沢山あるのだが、元禄以降の時代の方が何かにつけて現代に通じることが多く私の妄想や想像も難しくなく興味深い。

私が江戸を体感するのにもっとも分りやすいのが、『落語』と『歌舞伎』である。
それと小説。
中でも池波正太郎や藤沢周平など方々の作品のおかげで目を瞑れば江戸の風景が飛び出してくるような味わいを読むたびにいつも味あわせていただいている。
また、落語や小説のおかげで大袈裟に言えば私は人生を何倍も楽しませていただいていると言っても過言ではない。

じゃ、今手っ取り早く“江戸を楽しむには?”と言われれば、即座に落語と応えるようにしている。

じゃあ誰?

今は鬼籍に入った古今亭志ん朝、八代目桂文楽、古今亭志ん生、金原亭馬生、三代目三遊亭金馬などが大のお気に入りでいつも好んで聴いている。
中でも古今亭志ん朝の幇間ものや人情噺などが私の中ではナンバーワンなのである。
志ん朝さんのお噺を聴いただけで即座に江戸にタイムスリップ出来るのである。

明治以降落語の中興の祖である三遊亭圓朝、大圓朝は、落語家と言うよりは時代の大作家であり、舞台芸術家でもある。
彼の残した作品で有名なものを沢山あるが『芝浜』『文七元結(もっとい)』『大仏餅』『黄金餅』などは江戸っ子の心意気を現代に伝える名作中の名作だと思うのである。
それを八代目文楽や志ん生、そしてその息子の馬生、志ん朝らが苦心の末、噺を芸術の域までつくり上げたように思う。

志ん朝の『文七元結』など聴いているだけで、目の前には華やかで大きな上質の舞台が拡がっているような感覚さえおぼえることがある。
ひとつ噺を聴き終える頃には、感動と共に清清しい気持ちになれる人情噺である。
なまじの舞台など到底この芸にはおよばないだろう。
文楽の大仏餅など雪がはらはらと降ってくる様子が季節感もたっぷりで聴いている私をその場面にいつの間にか入り込んでいる錯覚さえ憶えることがある。
四季折々の季節が噺のなかから臨場感たっぷりに伝わってくるのも落語の良いところである。

歌舞伎と落語、その両方が楽しめるのが『四段目』。
歌舞伎の『仮名手本忠臣蔵』が落語の中でも名調子で楽しめる、特に志ん朝さんの四段目は見事の一言。

また、好きな演目に夏の噺ではあるが『鰻の幇間』という噺がある。
これなど文楽と志ん朝を比べてみるのも面白い。
お二方ともそれぞれに味わい深く、夏の暑さと鰻の旨そうな描写、そして幇間のお調子者さ加減とドジな様子が良く伝わってきて本当に奥深い。
夏と言えば『船徳』では浅草観音さまの四万六千日など季節の景色がうかび聴いているだけで汗ばんでくるものもある。
幇間ものは、たいてい幇間の名前が一八であるが中でも『たいこ腹』も志ん朝とその父親の志ん生を比べて聴いてみるのも好きである。

そして幇間もので外せないのが、京都が舞台の『愛宕山』も幇間一八のおっちょこちょいで欲張りな様子が笑わせてくれる。

お二方とも落語の中に小唄や清元、新内や都都逸など散りばめてあり、お笑いの中に粋を巧みに取り入れて聴き手を離さない。

また今の冬の季節では『二番煎じ』のような季節感たっぷりに演目も楽しい。
目をつぶり噺を聴いているだけで、身をしばるような冬の寒さと温かな燗酒の旨さ、そしてグツグツと煮える猪鍋の美味しそうな様子がストレートに伝わり思わず舌なめずりしそうになる。
また、この冬の季節『夢金』も寒さとともに雪の情景がにわかに浮かび上がりこの季節好きな作品だ。

ただ、演者が秀悦でなければどれもこの味わいは絶対に出ない。

江戸落語につきものの『若旦那』『吉原』『幇間』『酒』『蕎麦』『鰻』『博打』『おっちょこちょい』など全てが私には『江戸の風景』に通じるのである。
特に吉原と若旦那の組み合わせは気っても切れない関係で代表的な噺で『明鳥』、『付き馬』なども面白い。
文楽師匠の『明鳥』の最後の場面での甘納豆を食べる仕草や『馬のす』での枝豆を食べる仕草など本物を食べる以上に旨そうである。

蕎麦が題材では『時蕎麦』、『そば清』あたりを聴いていると無性に蕎麦が食べたくなるのは私だけではあるまい。

また、お大名と江戸っ子は相性が悪くて茶化したところでは、『目黒の秋刀魚』『たがや』『葱間の殿様』などが代表的である。
お大名は、とりわけ江戸っ子にとって何も知らない無邪気なお殿様ということだろう。


とりわけ寒い今年の冬は、毎夜毎夜落語で江戸にタイムスリップしながら眠りについている。

|

« A good-natured man..Pool Imanasu-Tei See's candies Chinatown soul de cuba cafe | Main | To give something extra »